その日はiPhone女子部(現「女子部JAPAN」の前身)でテレビの取材があり、夕方から日本テレビ(汐留)に行く予定でした。
14時過ぎ、会社(当時の都恋堂は東京都新宿区下落合)に行ったのですが、コートを脱ぐ前に、ただならぬ揺れを感じ、社のメンバーと玄関先に集まって、揺れがおさまるのを待ちました。
テレビをつけると、映るものみなパニック状態で、しばらくすると津波の映像が流れ、車や人が流されていくのを見ました。
夜になると気仙沼が燃えている映像など、とにかくテレビで、「これ、うそだよね?」と言いたくなるような映像が次から次へと流れていたのを覚えています。
電話も通じず、社に戻っていないメンバーの安否をTwitterで確認したりしていました。とくに当時、一緒にiPhone女子部を運営していた村上(都恋堂社員)が休暇を取って東北に行っていて、とても心配でした。しばらくして、高速道路で福島あたりにいて怪我などはしていないことを知り、安堵しました。
その日のテレビ収録はもちろん中止となりました。
2010年に立ち上げたiPhone女子部は、その頃テレビや雑誌、ラジオの取材が多く、3月も取材やイベントが数件入っていましたが、すべて中止・延期。
それでもいまスケジュール帳を振り返ると、5月、6月には実施していたので、あの頃は自粛ムードというよりは、世間も私たちも活動して盛り上げようという気持ちになっていたかもしれません。
話を少し戻すと、3.11の直後は、会社は自由出社で、サイトで何をアップしたらいいんだろう? メルマガで何を書けばいいんだろう、とすごく迷いました。そのときにやっと出した答えが、当たり前かもしれませんが
「できることをやろう」ということでした。
宮城など、被災が大きかった地域に部員さんもいるだろう。
亡くなってしまった部員さんもいるかもしれない、
家族が亡くなってしまった部員さんもいるかもしれない、
帰る家がなくなってしまった部員さんもいるかもしれない、
不安だらけだと思う。
でももしかしたらちょっとでもメルマガを読んで気が楽になるかもしれない、
気が楽になればいいけど、逆方向に感情がいくことだってあるかもしれない、
だったら私はiPhone女子部として何を発信すればいいか、など
考え始めるとぐるぐるしてとまらなくなりました。
それでたどりついたのは「できることをやる」。
それ以上のことはできませんし、なにもしないのは辛い。
サイトでは防災関係のアプリレビューを日々書いていました。
メルマガも送り続け、冒頭で声をかける。
私たちができるコンテンツ。
私たちができる声かけ。
地震、台風、自然災害に限らず、たくさんのアクシデントはこれからだってあるはず。
今だって、新型コロナウイルスの影響で、イベントはすべて中止・延期となっています。
そんななか、今年もむかえた9年目の3.11。
3月11日は私たちにとって、
「自分たちにできることは何か」を、改めて考える日なのだと思います。
(女子部JAPAN代表 小林奈巳)